アウトプットするということ

この間、入っているオーケストラの演奏会が無事終わった。パートは第九のティンパニをやらせてもらった。

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練習を開始してから半年間、運営面でも演奏面でもとても苦労した。運営面では合唱やソリストがいたり、演奏面は個人としてのハードルの高さとオケとしてのアンサンブルという意味でのハードルの高さ。第九はベートーヴェンの野心作で、初演も耳が聞こえないのに大変な想いをして本番を迎えたわけだが、その時代からずいぶん文明が進んだとはいえ、同じようにハードルはたくさんあった。

アマチュアとしては、多くの準備時間をかけ、万全の体制で本番を迎えた。練習通りに本番を迎えられるか、いや、合唱もソリストも入るし、会場も大きなところでやるわけだから、練習通りに行かないが、それでも万全に準備したことを活かそうと1500人を超えるお客様の前に立った。

自分で驚いてしまったんだが、過去に無いくらい集中していた。常に次に来る音符のイメージを考えながら演奏することができた。当然うまく行ったところとそうでないところはあったが、それが認識することができるくらい集中していた。

本番前に指揮者の方とお話していて、本番はいかにオーケストラが自分の限界を越えようとするかが成功するかどうかのポイントだ、というようなことをおっしゃっていた。指揮者は練習でほとんどの仕事は終わりだ、という人がいるが、私はそれは信じていない。本番は特別だ。本番には魔力がある。良くも悪くも練習と違うものが出る。それが生きた演奏になる。予定調和の演奏なんて聴いて面白いわけがない。

多分にもれず、私にも魔力がやってきた。これまで、どちらかというと他人に合わせて、もしくは他人がどう出るかを元に自分の演奏を決めていた。しかし、何故かその時覚悟が決まった。自分の意志を込めた。他に200人近くの演奏者が同時に演奏している部分で、周りがどうしようと自分の方向を変えず、維持し続けた。そうすると、不思議なことに、周りが自分に集まってくる。

やっとだ、やっと少しだけわかった。これが第二の指揮者と呼ばれるティンパニだ。あーあ、今まで何をやっていたんだ。ひどいもんだ。散々皆さんに迷惑をかけていたわけだ。情けない。オーケストラは、練習やそれ以外で言葉で他の人達とやりとりをする上で良くすることはできるが、最も大切なのは演奏中のアンサンブルだ。どんなに素晴らしいことを言えても、演奏でできなければ何の意味もない。現場で説得力がある仕事をしなければアウトプットをしたとは言えない。そうだ、そういうことなんだ。

趣味でやっているというのに、たった1回の本番でたくさん学ぶことがある音楽というのはすごい力がある。そこに普遍性もある。趣味というのはやっていて損はない、というかやっていたほうがいい。それもこれも素人なりに一所懸命やったからなのかもしれない。でも、少し疲れたな。ちょっと時間をかけすぎた。

あ、あと、録音聴きたくないな…。全部勘違いなのがわかってしまう。