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キミたちは何をしたいの?

演奏会から1週間が経った。Googleで検索してみると、演奏会の感想をBlogにアップしてくれている方が何人もいて、本当にうれしい。本番は必死だったが、じわじわ演奏会をやった実感が染み出てきた。こういう感覚は初めてかもしれない。

同時に、本番1週間前に書いた、打楽器の先生に言われた「キミたちはいったい何を表現したいんだ?」という一言が未だに頭を離れない。

中山さんが書いてくださった演奏会の感想(もっとも嬉しい感想でした。ありがとうございます!)の中に、このような話があった。

http://d.hatena.ne.jp/taknakayama/20101213/p1
サムシングはきちっと聴こえてきた。終楽章は感動ものだった。フォルテシモの迫力は大したものだった。ただ、全体を通じて弱音の表現には正直なところ今一歩の不満が残った。昨日の演奏でよく分かったのはその点で、弱音で、しかし、そのなかに緊張感を失わず、歌うことをマーラーは要求する。もっと歌ってくれ、楽譜が、メトロノームが目の前に浮かぶような演奏はしないでくれ、とマーラーは要求する。昨日、第1楽章、第2楽章を通じて、マーラーはそんなふうに私に語っていた。音を出すのが簡単な音譜が難しい。ポーンと単純に鳴る一音が難しい。

(現時点で当日の演奏に関して、反省することがあっても後悔して立ち戻る気持ちはないけれど)演奏する側と聴く側がいるコンサートがコミュニケーションの一種だとすれば、マーラーが語っていたこと、私たちが語りたいことを提示しない限り、それは成立しない。もっと言うと、音楽だけではなく、どんなコミュニケーションにおいても同じことが言えるんだと思う。

先生は、レッスン後の帰りがけにこう言っていた。
「最近の若い奴らは何をしたいのかさっぱりわからないんだ。何がしたいの?って聞いてもポカーンとしていて何も返ってこない。」
それを聞いて、私自身に言われているような気がした。