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アンサンブル

入ってるオーケストラで、来年から選曲や練習などの取りまとめ役になることになり、最近音楽のことをよく考えます。考えれば考えるほど結論は出ないんですけど。アマチュア団体でどういう演奏会にするか、どういう姿勢で練習するかと言うのは、色々な人がいればいるほど難しいし、とくにうちのオーケストラのように、特に強い特徴を目指していないとより難しい。いま、来年以降どういう方向で行こうか、考えつつも色々な人から話を聞いているところです。

で、今日はアンサンブルの話。

以前、アンサンブル大会で、ピアノを弾きました。当然ながら落ちるわ、音間違えるわで、全体的には全然ダメなわけですが、それでも楽しかったと同時に、アンサンブルってちょっと楽だな、と思ったんです。

それは、後で録音を聴いたときに、自分がその場で鳴らして聴いていた音と、ほとんど同じ印象(もしくはそれ以上)だったんです。もっと言うと、俺の音楽も悪くねーな(自惚れすんません)とか勝手なことまで思ってしまった。んで、今度は練習してある程度弾けるようにして、また出たいと思っちゃった。

で、本題のいつもやってるオーケストラの話になるんですけどね。

残念ながら、録音を聴いて一度もアンサンブル大会と同じ印象を持ったことがありません。これは大袈裟じゃ無くて、本当に一度も無い。いつも一番後ろでの印象と、客観的に聴いている印象は、驚くほどに違いがある。それで凹むわけなんですけど。

先日、お世話になっている先生の演奏会に行きました。相変わらず、先生は素晴らしい演奏でした。バランスもタイミングも、フレーズも何もかも。なぜあそこにいてあのバランス感覚が生み出せるのかまったく理解できない、と思いながら、楽屋口で先生の話を伺ったところ、

「悩んじゃって、結論が出なくて、リハーサルの間は気が重かったんだよ。本番も不安だったんだけどどうだった?」

はっきり言って???ですよ。先生は世界でも上位にいる、普遍的な音楽性を持っている方だと思うんですけど、そういう人がこのセリフを言ってしまうってすごいことです。

ティンパニと言うのはその譜面だけでは音楽にならず、他人の楽器との関係性において、ようやく音楽が成立する楽器なわけです。そのため、いくら自分が絶対的な音楽性を持っていても、その周りとの関係性が成立しなければ音楽にならない。だから、常に自分の出している音を疑わなければならないと思うんです。そういう意味で、先生はオーケストラの本質的に悩んでいらっしゃる。場合によっては、周りが悪いんだよ、という言い方も、立場上できないことは無いと思うのですが、それをせずに真摯に向き合ってるからこそ、あのような素晴らしい演奏を続けることができるのではないかと思うんですよね。

そういう意味で、いつも私が悩んで、時には嫌になりながらやっているのは、悪いことではない(本当は辛いから悩みたくないけど)のではないかと、勇気付けられました。

同時に、オーケストラをやるというのは、まず自分の音楽を疑うことから始めないと成立しないのではないかと思いました。それは、自分が「間違っている」ではなく、「一緒にやる人や時によって違うんだ」ということです。いくら技術的にも音楽的にも優れたものを持っていたとしても、自分がやりたい音楽や出来る音楽をやっているだけでは、オーケストラ全体として音楽は成立しない。

これは、打楽器だけでなく、全てのパートで当てはまると思います。時に弦楽器は、自分の音を客観的に聞けないので、疑うことを忘れてしまう人がよくいます。これは弦楽器の集団としてはとても危険だと思う。たまに打楽器にもそういう人はいますが・・・。もちろん、自分自身も気をつけないといけない。ちょっと気を抜くとそうなります。

ということで、また長文になっちゃった。音楽は難しいですねぇ。