どっちも取りたいんです

先日、数ヶ月前に会社を辞めた元同僚に会い、辞めるまでの過程とその後の状況を聞いた。もともと彼はうちの会社の中では異端で、それ故に優秀であり、会社としては大きな損失だった。そんな彼がなぜ会社を辞めようとしたのか以前から気になっていて、ようやく実現した飲み会だった。

その辺を単刀直入に聞いてみた(この辺が私の悪い癖)ところ、色々要因はあるにしろきっかけは収入だったそうだ。確かにうちの会社はでは、専業主婦の奥さんと子供を養いつつも、そこそこの生活をしたり、家を購入したりするのはほぼ無理と言っていい。

そうと決まると、時間をかけてはいたが、転職に行きつくまでの課程は明快だった。収入がある程度確保できる会社に雇ってもらうとするために、資格を取ったり、それらの会社に合うようなスキルを勉強し、そしてやりたいことまで変えていく。その結果勝ち取ったのが、誰もが知っている大会社への入社であり、収入という目標も達成していた。

その話を聴いていて、彼のモチベーションと努力と能力は尊敬したと同時に、その戦略の明快さに驚いた。もちろん、戦略を実行するにはその方の並々ならぬ努力が必要であり、その部分の難しさも大きいわけだが。

そんなときに小野さんがこんなエントリーを書いていた。

食える状況で若干の余裕のある生活をすることイコールお金、と安易に結びつく中で「本当にそうなのかな」?と思うこともある。きっとそうじゃないんだと思う。ただお金をメインに持ってきた方が楽なのだ。生き方として、単純に。何よりお金に困る状況では生活がままならない。こればかりはしょうがない。でも本当にそうか?

(悪いと言っているわけではなく)お金のためにする選択は明快だ。その選択を粛々と実行できれば、もしかしたらある程度の成果は出るのかもしれない。でも人間そこに割り切れない何かがあって、物事を複雑にしてしまっている。それを捨ててしまえば選択がしやすいことはわかりつつも、まだ大人になりきれていないというか、自分で自分の首を絞めているというか、でもやっぱり大事なことがあるんじゃないかと立ち止まる。

「そこを捨ててしまったら俺じゃないんだよ〜」という囁きと、「いやいやそうはいっても生活かかってるでしょ?」という囁き。どっちをとるかな〜って、いややっぱりどっちも取りたいじゃないですかね、うんうん、となって後ろめたさを感じながら、自分で自分の首を絞めて楽しんでいる毎日であります。