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役に立たない

後ろめたさの続きです。この後ろめたさを何とかできないかと考えてみたのですが、中山さん(id:taknakayama)のおっしゃるように、外部要因はあるよかなぁと考えていました。

小野さん(吉本隆明「ほんとうの考え」)が紹介していた、ほぼ日の吉本隆明さんとの対談でこんなフレーズがありました。文化=趣味という方程式は必ずしも成立しませんが、私の場合は近い意味合いを持っています。

「003 お金」
http://www.1101.com/truth/2009-04-20.html

吉本
そのとおりなんですよ。
文化芸術というものは、
人を強制したり、または、
人に導いたり、ということはできないんです。
つまり、もともと、役に立たないことです。
そのかわりに、自由度があるんですよ。

つまり、どんな悪党が小説書いたって
誰も文句言うやつはいないわけです。
そういうことで言えば
人間について、これほど自由なことはないんです。
そのかわり、何の役にも立たない。

ムダだと言われて、
みんながそう思って、
ぼくもそう思ってます。
おまえ何やってきたんだ、と問われれば
いやぁ、なんにも残んねぇよ、
と言うしかありません。
糸井
共感できます(笑)。
ただ、文化を捨象しないほうが
うまくいく可能性が出てきているような
気がするんです。
それが、いまの大転換じゃないかと
思うところがあります。

私も糸井さんと同じ意見を持っています。生活が豊かになり、例えばクラシック音楽であれば、昔で言う貴族でなくても私のような一般市民が楽しむことができるようになりました。マンガのような他の文化でも同じで、一般人が文化を作るようになった。この快楽は何者にも変えがたい物があります。食べるに困らない限り、この快楽を追及する人は増えていくでしょう。

でも、吉本さんのように、全身全霊を文化に突っ込んでいる人が、「何の役にも立たない」とはっきり言ってしまうところに悲しさを感じます。吉本さんが心の底から「何の役にも立たない」と思っていないと信じたいですが、数十年小説家をやってきて、「何か」がそう言わせているのでではないでしょうか。その「何か」がこの日本に空気として存在している事実を感じざるを得ません。

文化は生きている実感を与えてくれる、人生に豊かさと潤いを与えてくれるものだと断言できるのですが、それを体感していない人に言葉で説明したり、有効性を数値で示すのは難しいことです。だからこそ、その「何か」を何とかしたいとの想いと、自分自身の存在意義を示すために、糸井さんのようなアプローチが現時点では最適解のように思います。これは、私がコンサートスクウェアをやっている理由のひとつです。

そして、それを楽しく受け入れてくれる人も増えている…と信じてやっているわけであります。