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こんな私でも後ろめたいんです

1ヶ月半ほどご無沙汰してしまいました。書くに書けない日々が続いて、辻さんのようにBlogの形を変えようか悩んだんですが、この形で再開してみることにしました。

先日は弊オケの演奏会でした。id:taknakayamaさん、辻さん、id:sheeploveさんに来ていただき、Blogにも書いていただきました。本当にありがとうございました。

マーラー4番は、他のマーラーの交響曲に比べると主張が薄めではありますが、美しいメロディとフレーズの遊び心満載で、譜面を深く見れば見るほど面白い発見がある曲でした。一見簡単に見える音符の並びに、刻々と変わる音楽的役割や音色、フレーズの「ずらし」など、他のマーラーの曲に比べて「繊細な違い」を発見する必要に迫られるところが難しかったように思います。

型にはまったクラシック音楽で、アマチュアとはといえども、ステージ上で演奏するのは挑戦です。長年やってくると、よほど難しいフレーズじゃない限り「失敗しないだろうか」とはあまり考えなくなりました。とはいえ、簡単なフレーズでも思い描いているものを表現できるかというラインは毎音ギリギリをさまよっています。またそのギリギリ感が心地いいもので、演奏前の「こういう音を出せたら」の期待は楽しいものですし、緊張感を抜けた演奏後は、何か悪いものが抜けたかのように体が空っぽになり、またも心地良くなります。

そんなこんなで、楽器をやっているわけではありますが、やっぱりこんなことをやって何になるのかなぁ、と中山さんの「「多趣味のすすめ」でしょう」を見て、逆の意味で感じてしまいました。以前は頑なに「こんな経験できる人は少ないし、色々な人に会えるから」とか思っていたわけですが、どこか後ろめたさのようなものが無くは無いんです。

毎回の演奏会で自分の成長を感じつつ舞台に立ち、団体の上に立って演奏会を作るマネジメントをやったりすると、貴重な経験だとは思います。でも、それが誰の役に立っているのか、世の中にどのような波を作っているのかを想像してみると、考え込んでしまうんです。

はっきり言って、仕事を回すことが仕事だと思っている(一部の)大企業のサラリーマンを見ると、それこそ意味の無いことのように感じますが、仕事を回しながら家族にご飯を食べさせているのであれば、それはそれで充分役割を全うしているのではないかとも思うのです。

何を考えたとしても多趣味であることは止められないんですが、このような後ろめたさを無意識に感じながらやっていくのは少々気が重いところもあります。そういう意味で、私もどこか無趣味になりたいと思っているのかもしれません。