決めないという感覚

楽器が上手いというのは、もちろん思い通りに楽器を操れるというのが第一歩となるわけだが、音楽を演奏するということがその部分を目的にしているわけではないことを考えると、あくまでツールが使えるようになっているだけとも言える。

音楽というのは、時間軸による連続性が重要な芸術だ。だからこそ、単純な音がある法則性で繋がれば音楽になる、と言う人がいるが、私はいつもそれには疑問を感じる。音楽を演奏する場合は、過去に出た、または現在出ている音によって次の音大きな影響を受けるのだから、全体性として音楽になったとしてもそれは結果論であって、本質は全体性よりもその時々の選択にある。演奏者の力量というのは、音楽の全体性を意識しながら、最適な選択をし続けるところに反映されるのだ。そして、聴衆はその選択の場を体験することで、生きている音楽を感じることができるのではないだろうか。これこそライブ感であり、録音や録画では絶対に体験できないことである。

当然だが、同じ演奏というのは存在し得ない。例えばベートーヴェンの交響曲第7番の冒頭の音を100回やったとしても、毎回違う。細胞は生死を繰り返し、空気は流れる。今の自分は1秒前の自分とは違うのだ。その違いを40分ある交響曲の音符のかず分繰り返すのであれば、一つ一つの選択がどれだけ影響するのかがわかる。可能性は無限大なのだ。

その無限の可能性から答えを出す選択は、ある程度限定的である必要がある。素人はその選択肢が狭く、練習によってある程度確定させたうえで、本番に臨む。そのため、どうしても練習量を多くする必要がある。反対に一流の演奏家は選択肢を多く持っているため、演奏する際には完全に確定させて演奏に望むことはない。その一瞬の選択によって、最大限の効果を生むことができる。

それを想像するだけで、エキサイティングであることがわかる。演奏している人間でさえ、何が起こるかわからないわけだ。一流の演奏がすばらしいと感じるのは、その緊張感である。より多くのより良い選択が重なり、相乗効果が生まれた場合、全体性として次元が違う効果が出る。それが、音楽における連続性の重要さであると考える。

私も音楽に限らず、決めないで何かに臨める境地にたどり着いてみたいものだ。