諦められない何か

昨日一昨日と、まだそれほど年を取って無い(経験して無い)くせに、「年齢」を要因として考えられるかのように書いてしまったが、それぞれの考え方は年齢関係なく持っておきたい考え方だと思っている。諦められないものはいくつになっても諦められないし、いざ80歳になったとしても、「死」に対しての感覚は今とそれほど変わらないのではないか。怖いものは怖いし。

でも、それを意識して生きるか、しないで生きるかでは確実に過程と結果が変わってくると思う。終わりがあるから全て意味が無いのではなく、終わりがあるからこそできることがある。無風な精神状態から湧き上がってくる何かは自分の本質に近いことではないだろうか。

とはいえ、湧き上がってくるものだけでは生きていけないので、それとは別のところでも戦略が必要となる。嫌なことをするときは、感情ではなくツールになりきって行動する必要があるだろう。そして同時進行で、湧き上がるものとのギャップを埋める行動を起こしていく。諦められないことは諦めないほうがいい。

「ふとな、人生を諦めた時が青春の終わりじゃないかなって思ったんだ。諦めるって言葉は、よくできた言葉だと思う。人生諦めが肝心、とかって言うじゃないか。二十歳で人生を諦めた奴はそこで青春が終わり。五十歳で人生を諦めた奴がいたら、そいつの人生はそこまで。な、分かるだろ」
青空の休暇 P.203

神なんて存在しないし、生きる意味なんてものは与えられていないと考えているが、このギャップを埋める作業だけはコツコツやっておいたほうが良いと思う。そうしないと、死ぬときに何かを恨むことになりそうで怖い。

看護婦が見つめた人間が死ぬということ (講談社文庫)

看護婦が見つめた人間が死ぬということ (講談社文庫)

死ぬということが、「普通のこと」であることが実感できる本だ。しかも、人生がそうであるように、死に方も人それぞれだ。突然ポックリ逝った人は別として、死と対峙する時間が長くあった場合、未来が見られなくなるとどうしても過去を見つめてしまうのではないだろうか。それによって明らかに態度が違ってくる。だから、自分の未来と現実は受け入れられなくても、過去は受け入れられる状態でいたい。何かを恨みたくないから。