格差と希望

格差と希望 大竹文雄 ★★★★☆

格差と希望―誰が損をしているか?

格差と希望―誰が損をしているか?

P.217
バブル崩壊で継続的な成長の見込みがなくなった日本企業は、労務戦略の大幅な見直しを迫られた。しかし、問題は、日本には「一度上げてしまった序列も賃金も、引き下げるという慣習がまったく存在」しないことだった。賃下げのために日本企業がとったのは「年功序列的」な対策だった。既存の中高年世代の賃金には手をつけず、ひたすら若者の昇給昇格を難しくし、企業は非正規雇用という形で低賃金で若者を抱え込んだ。

これを是正するには既存の賃金体系にメスを入れられるようにすること、つまり、解雇権を含む労働条件の不利益変更に対する規制を大幅に緩和する以外に道はないというのが同氏の意見だ。

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ただし、両氏とも労働時間や正規、非正規雇用にかかわらず、同一労働なら同一賃金であるべきだという点ではまったく同じ意見だ。

私はこの部分が日本の労働という点での最も大きな問題だと思う。一緒に同じ仕事をしている人でも、所属で給料が大きく違う。親会社だったり、子会社、別会社というだけで、大きく賃金が違うのだ。仕事ができるできないはまったく関係ない。もっとも賃金が少ない人がもっとも働くことはよくあることだ。

企業という枠の中では、いくら頑張ったところで入った瞬間に待遇が決まってしまう。これでは働く意義が無い。この状況では、当然10年泥のように働けと言われても働く人間なんていない。それじゃぁ起業しろ、転職しろと言うマッチョがいるが、いくら増えてきたとはいえ、そこに本当に多くのチャンスがあるのだろうか。大企業の社員が既得を守っている時点で、そこへのチャンスは無いに等しい。起業だって簡単な世界ではないし、みんながみんな起業できるわけではない。マッチョが簡単にできたところで、それが一般的とは言えないだろう。

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「自己実現ワーカホリック」が低賃金労働者に増えているという。この背景には仕事に趣味性、ゲーム性、奉仕性などを付加することで、「ワーカホリック」を企業が意図的に生み出している側面があるという。これはジャーナリストの日垣隆氏の「古今東西や周囲を見渡してみるに、「そんなことをして食べていけたらどんなに幸せか」と思われがちな職業に、本人が惚れこんで就いた場合、短命に終わっている」という指摘とも符号している。

「働きすぎ」は健康を損なうにもかかわらず、いったん中毒になってからでは止めることが難しい。これがワーカホリックの一番の問題である。

先日の残業エントリーでもそうだが、根性で仕事をしても体を壊したら元も子もない。根性出して頑張った人が体を壊しても、武勇伝的に語られるか、あっさり捨てられるかどちらかなのではないだろうか。とはいえ、働きたい人は勝手に働けばいいと思うが、それを他人にも要求したり、体を壊して他人に迷惑をかけるのだけはやめていただきたい。このどちらかをしてしまった時点で、「病気」と言っていいだろう。アルコール依存症やタバコ中毒と同等になると思う。

最後に、

P.220
既得権を打破しないと若者の潜在力を発揮させることはできない。しかし、既得権をもっている中高年の方が少子化の影響で圧倒的に多いし、政治力もある。問題の所在は、はっきりしているのに、どうにもできないという閉塞感はいつまで続くのだろうか。日本経済がなんらかの危機的状況に直面するまで、私たちは待つ必要があるのだろうか。

おそらく、危機的状況にならないと変わらないだろう。こういっている私も、どちらかというと既得権を得ているほうであり、周りを見る限りこの部分の考え方を変えるのは難しいと思う。私は、一緒に働いている人たちが正当に評価されるのであれば、自分の給料が減っても良いと思っている。ただ、実際そうなっていない現状からいくと、なんだかんだ言う権利は無いかもしれない。その辺は、そのうち行動に出ようと思っている。