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不思議な上下関係

日本では(といっても外国は知らないが)基本的にお客様は神様だ。基本的に主導権はお金を出すほうだし、もし売る側に主導権があるとすれば、あたかもお客さんに主導権があるかのようにするのが腕の見せ所となる。お金を出し、何かしらを受け取る時点で物々交換としては平等(もちろん双方納得は必要)なわけだから、個人的にはこの感覚はおかしいと思うが、制度的にも国民性的にも少しずつ変わってきているとは思う。

こんな考え方の中で、完全に立場が逆の世界が私がかかわっている世界にある。アマチュアクラシック音楽業界の「トレーナー」と「生徒」の関係だ。もちろん、生徒はトレーナーにお金を支払う。私の所属しているオーケストラでは3時間3万円(交通費込み)。一般的な仕事に比べるとべらぼうに高いが、特殊技能として考えるとそこはやむをえないと考えよう。ただ、一つ昔から疑問に思っているのは、立場が完全にトレーナーの方が上だということだ。つまりお金を出しているほうが下手に出ているということである。

トレーナーや指揮者が「神」のように崇められている団体があったり、トレーナーがひどい罵り方で指導していたり、偉そうに振舞ったりというようなひどい例によく出会う。そんなひどい人ばかりではないのだが、我々はどうも必要以上に気を使いすぎているのではないかと自問することがある。これはいったいなぜなのだろう。

確かに、プロの演奏者に会う機会というのは多くなく、その出会いを大事にしたいという気持ちもわかるが、いい演奏家は結構いるし、少しでも人脈でつながっていれば、意外に簡単に紹介してもらえたりする。そこまで神経質になる必要は無いはずだ。もちろん、人間としてひどいことはしてはいけないが、少なくとも縁を切られて困るのはこちらよりトレーナー側だ。おそらく、フリーの演奏家などはアマチュアからの謝礼は重要な収入源になっているだろう。

以前付き合いのあった楽団で、大した音楽性を持っておらず、プロのオーケストラもほとんど振ってないのに、その楽団を所有物のように扱い、ネガティブな言い方で指導をし、難癖付けて楽団の好きな曲はやらせず、偉そうにしている音楽家がいた。もちろん、ボランティアでやっているのではない。アマチュアが相手でも、ある信念を持ってやっているのであればいいが、アマチュアに集ってそれを仕事にしているプロの存在意義ってなんだろうか。プロって言えるのだろうか。

アマチュアの人間も、プロをありがたがらず、冷静に判断して行動していかなければならない。特に指揮者なんてものは、1回練習を振ってもらっただけでほとんど音楽性はわかるのだから、勇気を出して切るときは切ればいい。他に有名じゃなくても素晴らしい音楽性や人間性を持っている人はいるのだ。