整った演奏

いま、NHK教育N響アワーサンサーンスのオルガン付きを聴きながらこれを書いている。やっぱり上手いなぁ…。でも演奏会会場に行くとつまんないんだよなー。なんて思いながら聴いている。で、昼間は大阪センチュリー交響楽団の画家マチスがやっていた。とても面白い演奏だったなぁ。演奏会会場で聴きたかったと思った。

大阪センチュリーの演奏は、テンションが高くて勢いがすごい。音程が微妙だったり、縦が少々ずれてたりは結構あったし、最後のコラールがブラス的だったのは私の好みに合わないなんてこともあったけど、確実にライブで聴いていたら面白い演奏だった。整っているということも要素としては必要だけど、それが目的じゃあまり面白くない。CD聴けばいいじゃん。メッセージは別のところに詰まってる。

で、ふと思い出したのが、先日音大を卒業した方との会話。クラシックの聴衆の中では、「整った演奏」を好む人が多数いるというのだ。だからこそそういう演奏を目指さざるをえないと。はっきり言いましょう。それが本当だったら、日本のクラシック音楽の聴衆の文化レベルは低いといわざるを得ない。

どこの作曲家がそんな目的で曲を書いているというのか。なぜ私たちが音楽を聴きたいと思うのか。そこに「整った」という論理はまったく働かない。聴衆がオーケストラを育てるというが、このような「整った」オーケストラが多くなってきるのであれば、それは聴衆がそれを望んだということなのだろう。これは、われわれが反省しなければならない。

もう一点、批評家という人たちもいる。

演奏会へ行った後に新聞や雑誌で批評が出ることがある。それらを読んで、よくここまで細かく聴いて、さすがだなと納得するところは多いけれども、同時にやはり批評家でも好き嫌いがあると思う。
批評家はあまり感情的な演奏を好まない、というのがだんだんわかってきた。むしろ理性的で、感情を抑えたのが好きなんだろうと思う。
私は奔放で技巧のある人は、技巧的なところを前面に出し、情熱的にすぎるのも結構ではと考える。

音楽遍歴 - 小泉純一郎

いちクラシックファンとしては同感だ。批評家がどう書いているかということも演奏に影響しているだろう。感情を抑えた演奏を多く好んでいるのであれば、そういう演奏に近づいても無理は無い。

関係ないけど、大阪センチュリー交響楽団は補助金を減らされるという話も。お金が無いのは理解できるけど、こういう元気のあるオーケストラが無くなるのは大変残念。可能であれば、補助金以外で生きていく道があればいいんだけど、難しいだろうなぁ。何かアクションをしてみようかとちょっと検索してみたら、大阪センチュリー交響楽団を応援する会があるようだ。

音楽遍歴 (日経プレミアシリーズ 1)

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