脳活動の向上と身体性の関係について

仕事が多くなってくると、予定通りいかなくなることがある。そんなことを繰り返していたら、そもそも働き方が間違っているのではないか、と考えるようになってきている。知的労働というのは、例えば製造業と違って体は動かさないが、その分脳みそを常にフル回転していないと何も進まない。

トヨタのカイゼン活動は、徹底的に見える化し、その見える無駄を取り去っていく作業の繰り返しで効率を図ってきた。おそらくみなさんハードな作業をやっておられると思うが、身体は脳活動に大きな影響を与えているという観点から行くと、活動を身体から変えていくので、おそらく脳活動の変更は身体の後になるのではないだろうか。脳活動の変更が行われれば、後は自分で工夫してカイゼン活動ができ、いいスパイラルに入っていける。

IT業界はそうは行かない。身体活動があまり伴わないにもかかわらず、脳だけパフォーマンスを上げなければならない。人間の脳がここまで発展したのは、二足歩行が始まりというのは、まさに身体性から脳が変わっていったことを示しているが、IT業界の作業は見える化しにくいため、目に見える身体性から脳活動のパフォーマンス向上はあまり期待できない。

ニュースだけではない。日本には、まだまだ工業社会の仕組みが数多く残っている。その代表例が大学などの教育制度だ。決まった時間に始まり、教師の言われるがままに勉強する。これは、工場労働者を教育するために最適化された方法だ。それが情報社会になろうとしているのに、今だに継続されている。クリエイティビティを高めるために、机を並べて一斉に作業を始める必要があるのか、と言いたい。

「言われた仕事はやるな!」(石黒不二代著)の読み方 - 湯川鶴章のIT潮流

学生だけではなく、仕事を行う局面でも同様だろう。

クリエイティビティが必要だからってなんでもアリのように見えるが、実はそうではない。おそらく、忍耐力はかなり必要だ。ずっと同じ机とパソコンに向かい、脳をフル回転してアウトプットを創出し、しかも長時間作業をする必要がある。私はこれはもっとも難しいことなのではないかと思う。

そこで、ここでこそ身体性を取り入れるほうがいいのではないだろうか。村上春樹がマラソンをしているのは、執筆作業という孤独で長大なマラソンのような作業と身体性を結びつけるためなのではないかと思う。同時に、自分でルールを課し、それを必ず守る。例えば、何時に終わらせる、〜は必ずしない、〜を1日に一回はする、毎日〜時に起きる…。このようなことを毎日繰り返すことによって、脳が習慣化される。このような、脳と身体性の結び付けを自発的に行わなければ一向に効率は上がらない。

こう簡単に言ったが、とても難しいし疲労が大きい作業だ。でも、このような仕事をしている以上、楽をすることなんてほぼ不可能だと腹をくくらなければいけないと思う。昔は一部のクリエイターが作ったものを効率良く作れば良かったが、もうほとんどの人がクリエイターと同じような仕事をしている。とても仕事が難しい時代になってしまったのだ。これは梅田さんの受け売りだが、だからこそ、その対象を好きであったほうが有利だし、他人がどうこうではなく自分に合ったやり方を見つけないと効率は上がらないし、ということで昭和の考え方ややり方が合わなくなってきているんだろうと思う。

もうひとつ、格差はもっと開いていくだろう。脳の活動は生まれつきの脳の質に関係する。脳の質がいい人はどんどん良くなっていくし、それほど質が良くなくても努力をしている人はそれなりに良くなっていく。その人たちと、受動的になっている人との差はどんどん開いていく。

私も「それほど質が良くなくても努力をしている人」ならないと…。