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努力と根性至上主義

昨日書いたエントリーで、もう一つ考えたことがある。「努力や苦労をすること=成功する」という方程式は、必ずしも成立しないということだ。私が体験しているIT業界に限って言えば、努力をすれば成功するわけではない。その努力の方向が間違っていればいくら時間をかけても成功しない。プロジェクトではお客さんもプロジェクト要員も全て人間、作るものはPCの中に閉じこまれており見えない。どう動くかわからない、見えない中で目標に向かって進まなければならない。そういう中では、工夫が最も重要な要素になってくる。このような工夫が必要なのはIT業界だけではないだろう。

もちろん、何かに耐えながら成し遂げた場合、その人間の成長につながるかもしれないが、それはあくまで個人的な要素であり、自己満足な面もあるのではないだろうか。

だから、私は努力や根性を目的とした仕事はアマチュアがやることだと思う。

もし、個人的な精神を鍛錬したいのであれば、仕事ではなく永平寺にでも修行に出ればよい。あくまで、何かの目的に達するために必要な要素が偶然「努力や根性」なわけで、目標に達する道筋の一要素に過ぎないのではないかと思う。順番が逆である。もしかすると、製造業を中心とした仕事が多かった過去にさかのぼると、努力と根性を振り絞り、時間をかければ成功する確率は高かったのかもしれない。今は違う。アイデアや工夫という知的行動がとても重要になってくる。これは、時間をかければ出来るものではない。

これと似ているのが、大学受験だ。「今のうちに苦労しておけば」ということで、幼稚園、小学校、中学校受験から文字通り教科書通りの勉強をし、一流大学と呼ばれるところに入ることを目指す。一流大学を出たからっていい会社(そもそも、いい会社ってどんな会社なんだ?)に入れる保証は無い。入れても、そのまま順当に地位が上がる保障も無い。それを実現したいのであれば、もっと別の要素が必要になってくる。でも、子供のころから努力と根性で頑張れば何とかなるんだと信じている。みんなわかってると思うんだけどなぁ…。

ちょっと批判になってしまうのだが…以前に強く感じた例があったのでここに書いておく。テレビ朝日の題名の無い音楽会にブラスト!の日本人パーカッションプレイヤー石川直さんと、ウクレレのジェイク・シマブクロさんが競演し、一緒に演奏していた。そこで本当に意外だったのが、ジェイク・シマブクロさんの方がはるかにリズム感が良かったのだ。曲というベースに乗っかっており、至極自然。反対に石川さんは曲とは別次元で動いており、調和しない。これは、音程があるとか無いとかそういう問題ではない。

石川さんは公演前は1日に12時間練習するという努力の人だと聞いていたので、とても期待していた。でも、期待は裏切られた。確かに技はあるのだが、それ以上も以下も無い。音楽的に面白みが無い。とても残念だった。反対に、ジェイク・シマブクロさんの驚異的な技術だけでなく、音楽性に惚れてしまった。

これは才能という一言で言い切れるものなのかと考えてしまった。本当に音楽をやる目的は何なのか、そのための努力だったのか。もしかすると、そもそもそのような音楽性は狙っていないのかもしれないし、一概には言えないのだが、努力をすれば何でもできるというものではないんだ、という実感を始めて受けてしまった。同時に、シマブクロさんが本当に楽しそうに演奏され、ここまで来た音楽に対する姿勢というのも伝わってきて、大変共感できる。しかめっ面で演奏してもショーとしてお客さんが本当に楽しめるのか…。
(念のため、私は音楽という分野でこの二人のことをどうこう言う権利は無いことはわかっている、ということは追記しておく)

私は、この努力と根性至上主義を早く捨てなければ、日本という国は身も心も豊かにならないのではないかと危惧している。もう頭を使わずに体だけ動かせばいいという時代は終わってしまった。ある特定の世代で未だにこの考え方が根強く残っており、それがその下の世代にも影響しているのは心配である。養老孟司さんは、八百万の神様を持っている無宗教の日本人にとっての宗教とは「世間」である、というようなことを言っていた。今の若い人たちは、もう世間の価値観に流されるのではなく、自分で何が重要なのかを考えなければならないのではないだろうか。インターネットは危険だ、ニートが悪い、そんな論調に本質的な根拠なんか無いのだ。