分析型と感覚型

私は先生の演奏を聴いていると、その雰囲気や感覚の一部が体に乗り移り、その感覚を再現しようとすることで、ティンパニの演奏を楽しめるようになってきた。もちろん、技術的なレッスンを受けた際も自分の演奏が変わっていくことがわかるのだが、そこへの楽しみよりも、聴いていて心地がいい先生の世界の一部をもらうという気持ちよさが楽しさにつながっている。そして、総合的な自分の演奏も着実に変わってきていることを感じている。

一緒にオーケストラをやっていて、この人はこのような「感覚型」に演奏を捕らえているだろうなぁと思っていた人に、「プロと同じ動きをすれば同じ音を出せるはず」という発言を聞いてびっくりしたことがある。彼は「分析型」だったわけだ。実際その人の演奏は音楽的なので、やり方が悪いとは思えない。私の考え方も言ってみた所、「到達点は同じだけど、その経路が違うだけだね」というコメントだった。

そこで感じたのは、私が感覚型で感じていたのは到達点であってその過程ではなかったのではないかということだ。先生に出会う前は、到達点さえ感じることができなかったので、数年間も迷走した演奏をしていた。先生の演奏に出会たときに到達点を見ることができ、そしてその道筋が私の感覚と比較的近かったのではないかと思う。でも、実は到達点を目指すための近道は「分析型」の行為こそ必要なことであり、練習というのはそういうことなんだろうと思う。もっと言うと、感覚型というのは、もっと広く音楽を捉えることであり、第二の指揮者といわれるティンパニストにこそ必要な視点であるという意味でも、イメージをもらったことで私の演奏が変わってきた要因なのではないかと思う。

ということで、何を言っているのかよくわからなくなってきたが、とにかく分析し、練習することによってまだまだ私にも可能性があるのかなぁとまた楽しみになったということである。でも、この話に関してはまだ私の中に別の感覚が存在するので、また書いていきたいと思う。