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そして芸術へ…

今日は朝からMichel PetruccianiStephane GrappelliのFlamingoを聴く。この競演がゴキゲンなのだ。明るくて音が暖かい。Grappelliは晩年だし、Petruccianiは波乱の人生を送っているにもかかわらず、苦悩を感じさせないこのような音を出せるのはなぜだろう。

私は、JAZZは全然詳しくないにもかかわらず、自分の中に息づいているリズムと和音はJAZZに基づいているような不思議な感覚がある。昔、素人の遊びとして曲を数曲作ったことがある。私の曲は、どうしてもJAZZっぽい感じになってしまっていた。そんなわけで、JAZZは自然に体の中に入ってくる。

このCDを聴きながらゴキゲンに歩いていたら、写真のような梅を見つけた。いつも歩いている道なのに気づかなかった。やっぱり、心が亡くなると書くような忙しさがあったのかもしれない。こういう小さいところに幸せがあったりするんだろうと思う。

そんなことを考えていたら、大野和士クロアチアザグレブフィルにいたときの話を思い出した。紛争が起こっている中、お客さんは息を殺しながら演奏会にやってきて、満員になってたそうだ。こういうところに人間が人間として存在するということを感じるのではないか、というようなことを言っていた(まことに曖昧だが)。小さな幸せを見つけるということに喜びはもちろんありつつも、それは人間しか出来ない特別なことであり、存在そのものなのかもしれないなぁ、と思った。

ということで、昨日の問いの答えが一つだけ出た気がする。

今読んでいる本


気分がすぐれなかったので、昨日読んでいた本を中断し、こんな本を読んでみる。これは元気が出る。毎日楽しくやらないとね。方法論は結果論であって排泄されたうんちと同じだって。もっと広い視野で見よう。なるほど。