これからのこと。

自分は何のために生まれてきたんだろう、という問いは誰にでもあると思うけど、家族の想いを除くと、基本的に何のためでもないだろうというのが個人的な結論である。それは、意味が無いと言っているのではなく、中間地点のようなもので、ようはどちらにでも振ろうと思うほうに振れるということだ。

とは言え、生きることは、苦しいことばかりだと思う。たまに楽しい、うれしいことがあることが、その他の苦しいことをやる原動力となる。江原さんは「修行のために生まれてきている」と言うが、信じるかどうかは別として、本気でそう思うことがある。

未来のことは予想が出来ない。お先真っ暗というのは、当然のことで、それだから面白い面もたくさんあると思う。ただ、真っ暗な中でも、自分で方向性を決めて、より良い方向に向かいたいと思うが、より良い方向がどこなのかもイマイチよくわからない。現代は問題ばかりだし、歴史を紐解いてみても、おかしな時代はたくさんあったわけで、そう考えてみると、よりわからなくなる。

これから私を待っている事象を考えると本当に怖くなる。おそらく、仕事をする上でもっと苦労が待っているだろう。家族との別れもあるだろう。何か突発的な物事に合うだろう。やはり、人生は修行ということだと思う。

もう少し、真面目半分、気楽半分くらいで生きられないものか。性格の問題ももちろんあるが、それだけではないような気がしている。少なくとも、今後私に降りかかってくる大きな課題は、自分の好きな分野での課題であることを望む。周りから与えられたものでない何か。

こんなことを考えると、夏目漱石の草枕を思い出す。私も何か芸術をやらなければ気がすまないのだろうか。

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。

今読んでる本


インセンティブと性格の奴隷。納得する。私にとってのインセンティブとはなんだろうか。