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隣の人と同じことをするのはやめる

先日、バスに乗ろうと待っていると、待っている7人中4人が日本経済新聞を読んでいた。電車の中でも驚くほどの人たちが読んでいた。よく見るほほえましい風景である。

日本経済新聞を読むことが、日本の社会人の一員である印籠と化しているのはわかるのだが、貴重なはずの通勤時間を使ってまで読む価値があるのか、私にはまったくわからない。ただ時間を使って働くだけでなく、発想や創造性など、頭を使うことを求められているのにもかからず、電車で偶然隣にいた人とまったく同じものを読んでいて、その人と違う発想のモノを生み出すことができるのか、本当に疑問である。

インターネットの情報は、信用できるものが少ないというのは事実であるが(新聞だって同じだろうという議論は置いておいて)、その代わり、自分自身の基準で可か不可かを振り分けられるようになった。それはあくまで世間的に可か不可かではなく、自分自身にとって可か不可だ。毎日百以上のBlogや記事を斜め読みをしていて、培った力である。そして、やればやるほど、隣の人との考え方の違いが広がっているのがわかる。

「和して、同せず」

今、多くの人に求められているのは、新しい発想だ。また、高度成長期が終わった現代において、幸せとはお金ではなく、別にある。そういう意味で、一人一人が心から豊かになるには、この言葉が本当に大事だと思う。「他人がやっているからやる」から、何か自分に悪いことがあったときには「他人のせい」となるのだ。上司が悪い、会社が悪い、国が悪い。そこに新しい発想は無い。もう、隣の人と同じことをするのはやめたい。意見が合わなければ、議論すればいいのです。

最近思いやりが無くなったと言われているが、私は疑問を持っている。本当にそうなのか?これだけ幸せの基準がわからなくなっているのに、他人を思いやることなんてできるんだろうか。思いやることができなくなったことが本質ではなく、もっと根深いところにあるような気がする。一世代前の人は、自分が、日本が豊かになるという目標を持っていた(らしい)。それは魅力的な目標だし、成果も目に見えてあったと思う。それと比べて今はそういう達成感はほとんど無い。

もう時代は変わったのに、昔の人は今の人がダメになったと言い張る。そういう人たちを生んできたことを忘れて。でも、変わったなら変わったで、我々も過去と同じやり方をしていてはいけない。考え方を変えないといけない時に来ている。

違うことは悪いことじゃない。そして自分自身にとっての幸せとは何かを基準に行動する。そして、周りに自分とは違う考え方で行動している人を、意見が合わないことも含めて認める。そこから始めないと。

なんか発散した内容になってしまったけど、これが今一番私が感じていること。もう隣の人がやっているからやるのはやめよう。満員の通勤電車も異常。なぜみんな東京で働く?そしてなぜ同じ時間に働き始める?もっと言うと、隣の人が戦争賛成と言ったら賛成と言う?今の状況が私は恐ろしくてしょうがない。もちろん、それは自分のポリシーで出来る限り行動したいという自分を守りたい、という意味もあるんだけど。

私はジリジリ足を進めていくぞ。