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制約の変化と文脈

お恥ずかしながら、先日初めてモーツァルトのレクイエムを聴いた。私が知っているモーツァルトは、明るく前向きな曲調であったが、この曲は深く、暗く、またロマンティックであった。モーツァルトがこのような曲を書いているとは知らず、この曲を聴かなかったということは、数年の人生を無駄にしているような想いに襲われた。すばらしい曲である。

なぜこのような曲を書いたのか考えていたのだが、ひとつわかったことがある。「制約の変化」だ。モーツァルトは当時としては革新的な作曲家だったとはいえ、形式はあくまで古典、その後の時代を考えると、形式的な制約を逸脱しているとは言いにくい。ただし、この曲はレクイエムというテキストに則り、さらに編成もホルンを使わない、オルガンを使う…などの制約がある。その結果、いい意味で以前のモーツァルトらしくない曲に仕上がっているのではないか。死期が近かったこととレクイエムという感情的な理由も考えやすいが、レクイエムの作曲自体以来のため、その点の理由は小さいように個人的には思うが、今となってはわからない。

ただ、実際は未完のままモーツァルトが亡くなっている。その後、弟子や研究者たちが完成させた色々な版があり、実際100%モーツァルトかと言われると、そうでもないのが事実である。

でも、芸術というのは、究極には作品の文脈なんて関係ない。どのような時代に、どのような経緯で書かれたかなんていうのは、そこに作品が存在するという事実を超えることはできない。文脈が関係あるのは、表現者側だけだ。受信側は、作家や演奏者が誰がだろうと、どんな文脈で書かれたものだろうと関係ないのだ。そこに存在するものがすばらしいものはすばらしい。

知らない曲はたくさんあるんだなぁ…と実感。少しずつ色々な新しい曲を聴いていこうと思う。