淡々と

走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)

読了した。走ることが趣味だから書いているのかと思いきや、それ自体が人生においての挑戦であり、小説を書くこととも綿密に結びついているとのこと。走ること自体が小説を書くことと似ていて、走っていなければ今のような小説が書けたかどうかはわからないとある。今がいい結果とかそういうことではなく、違うものが出来ていた可能性があるということだと思う。

この本を読んでいると、ノーベル文学賞の候補にもなった人が近くにいるように感じる。小説が売れ、名前が売れるという華々しい表舞台に立っていると思われる人が、ここまで自分自身との対話を淡々と続けているということが想像外だった。冷静に考えれば当たり前なんだけど。

いくら表向きが華々しいとはいえ、それを作り出す過程は孤独だ。目の前にあることを淡々とこなしていかなければならない。これは私達も同様で、日々の仕事なんていうものは大変泥臭いものである。それの積み重ねでたまに表舞台に顔を出したりする程度だ。小説家も我々も同じである。

以下、102〜103ページの記述。

日々走ることは僕にとっての生命線のようなもので、忙しいからといって手を抜いたり、やめたりするわけにはいかない。もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

これは走ることに限らない。何でもそうだ。止めるのは簡単。色々な理由を付けてでも止めることはできる。でも、一つでもやる理由があるのであれば、それを大事に淡々と続けていくことが、自分の成長や未来を作る上で重要なことなのではないか。

茂木健一郎さんが「人間はやるという理由を考えるより、止める理由を考えたほうが簡単」と言っていた。何か違うことをやりだす際も、実は他のことを止めたいからやっているのではないか。だからこそ、今やっていることをやっている理由を育てていくということに価値が出てくる。

私も数少ない「何かをやる小さな理由」をはっきり言える何かを淡々と大事にしていきたいと思う。