様々な視野、視座、視点で

ブログの中の私(横浜逍遙亭)

そして私は嘘つきである。だから、控えめに見ても、このブログに書いていることの何パーセントかは嘘に違いない。さらに言えば、(今現在、少々舵を切り直しているところだけれど)これまで多くのエントリーを「ブログの上でエッセイを書く実験」として綴ってきた。エッセイは、日記とは異なり、日常を素材にした創作の世界である。事実を書き連ねることそれ自体に意味はない。私が書いてきた「僕」はブログのこちら側にいる私ではないということだ。

「自分は嘘つき」と言えること自体に人間性を感じるが、いつも提供してくれている興味深い文章の中にある「嘘」という視点は新鮮だった。私はいつも自分の中に存在する声を探して、その感覚を文章にしようとしてしまう(結果的に文章がその感覚に近くなるかどうかは技術的問題)。そのため、それにがんじがらめになり、書いていて途中でボツにしてしまう事も多い。その時に嘘という視点があれば、もう少し楽に書けるかも、と思った。自分で考えたからって所詮文章は自分ではないのだ。

私は主観的な人間なのかもしれない。それは普段の生活や仕事でも感じる。簡単に感情的になって偏った考えになることもあるし、自分の演奏なんか特に主観的だ。録音を聴くといつもがっかりする。もっと自分を含めた客観的な視点で物事を、音楽を、演奏を見られるようにならないと、人生が楽しくならないような気がしている。それはこのBlogにも当てはまっている。

エッセイというのは人に読んでもらうためにある。少なくとも私は人に読んでもらうためにこのBlogを書いているのではなかった。でも、もっと様々な視野/視座/視点で自分や物事を見るには、今まで考えてこなかった「エッセイ」の要素を盛り込んでいくほうはいいのかもしれない。

このBlogのように、本やBlogで頭の中がかき混ぜられるような感覚に出会う事がある。私もそのような文章を書けるようになりたいと、頭の中がペースト状になりながら思った。