好きなことをやる

こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)

人生の残りが少なくなったこともあって、私はもうオモロナイことはしないでおこうと思っている。先の人の言葉を用いると、残りの人生を興味本位で生きようとカタク決心している。人生の糧とやらの食べすぎで肥満になったら大変だ。

おそらく、それまでの人生でご苦労されたのだろうと思う。その結果の結論だと思うが、これを実践できるのは、どのような資格をもった人間なんだろう。やはり、私にはまだ無いのだろうか。

取り返しはつかない(My Life Between Silicon Valley and Japan)
ワガママ道前途遼遠(内田樹の研究室)

河合さんの訃報を聞いて、私はもっとワガママをしようと思った。

養老先生は、是非そうされたらいいと思うが、これらの話を見ると、逆説的にお前らはまだワガママする資格は無い、と言われているような気がしてしまう…。被害妄想だろうか。

ワガママというのは、駄々をこねるという意味ではなく、好きなことをやるということ。私も人生の糧とやらを食べるため、好きでもない、厳しい課題に取り組んだほうがいいのではないか、という想いはある。でも、好きで厳しい話題に取り組む際にも、糧を食べることはできないのか。もしかしたら、糧を食べるには、好きか嫌いかではなく、課題が難しいというところにポイントがあるのか?そう考えると、少しでもその課題が好き(オモロイ)と感じられるほうが、良い結果に近いのではないか。それは甘いか?

ただ、好きなことをやる際には「選択」が必要になってくる。私はその選択をする度にどこかプレッシャーを受ける気がしている…。私の選択の仕方が悪いのか、「世間」的にそれが許されないのよくわからないのだが、もう少しやりやすくならないか、とも思っている。やはり、それこそが「ワガママ」なんだろうか。