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楽観論と悲観論

1ヶ月Blogをご無沙汰してしまった。昨年末には、1年間は毎日書こうと頑張っていたんだけど、やはりなかなか続かないものだ。特に、仕事が忙しくなると、ここに頭を使えなくなる。ったく自分の頭の悪さと面倒くさがりにはホトホト呆れる。

もう一つ思ったのが、やはりまだ私はインプットの期間なのかなと。アウトプットをするには、膨大な量のインプットが必要だ。私はまだいいアウトプットができるほど、インプットをしていない。なんとなく、35歳くらいが目処でないかと思っている。あと6年。あっという間だろうなぁ。
あと最近考えたのは、私はここ数年で考え方が変わってきたことだ。比較的、前向きになってきたことだ。もちろん、悲観的な物事も頭をよぎるが、それはできるだけ見ないようにできるようになってきた。これはとてもいい傾向だと思ってきたが、逆に悲観論や世の中の悪いところから目を逸らすことによって、本質的に悲観的な状況に陥ったときに、果たして耐えられるのか、という心配が急に沸いてきた。そこで、茂木健一郎さんのBlog

未来が明るいと思うのは、
梅田望夫さんも常々言われるように
予測ではなく一つの意志である。

何を楽観的に…と言う人は多いと思う。でも、私はそこが問題ではないと思う。悲観的でも何も考えない、何もしない悲観では意味が無い。何も考えない楽観と何も考えない悲観は同義語である。

茂木先生は、記憶は未来のために存在すると言っていたが、その通りだと思う。記憶は過去のことを記録していくが、それをそのまま過去に生かすことができないのだ。そう考えると、悲観的な記憶は、そのまま未来を表すことになる。それならば、記憶を明るく転化し、未来が明るいと思ったほうが、明るい未来を作れるのではないか。

ただ、これは何も考えずに、未来が明るいと思うのではない。影の部分も意識した上で、客観的に明るいと思うことが重要だ。どれか一方ではなく、バランスを保ちつつ、少なくとも51:49以上で未来が明るいと思うことが必要だと思う。悲観論を見るか見ないかという疑問の私なりの答えはここだ。

ちょっと最近アウトプットできるようになってきた。まだ35にはなってないけど、自然にアウトプットできるようになるのを待っていたのがこの1ヶ月だったのかもしれない。