利他

イノベーションを創発する「薄い信頼」とネットワーク(永井孝尚のMM21)

以前より私はネットの本質は利他であると考えている

「利他」。この言葉があったか…。インターネットを表すのにぴったりだと思う。

かつて、ご近所さんとの距離が近い時代があったそうだが(私は深いご近所付き合いを体験していない)、それが希薄になってきてから、昔は良かったという話を聞くことがある。きっとそうなんだろうなぁ、と思いつつ、今はそういうことが無いのかと考えると、インターネット上に現れているのではないだろうか。

ご近所付き合いで何かをあげる、というのは何かを貰えるから成立するわけであり、常に一方通行ではないはずだ。インターネット上の無料サービスは、善意でサービスをやる代わりに、GoogleAdsenseなどでささやかな収益を得ているわけで、形が違うだけで両者は何も変わらないと思う。そういうことが、ご近所さんだけでなく、不特定多数の方々向けにやれるというのは、これほど楽しいことはないのではないだろうか。

もちろん、インターネットに闇の部分はある。それはリアルのご近所さんだって同じであり、必ず厄介な人やドロボウみたいな悪い人はいるわけであり、何も変わらないのではないだろうか。メディアはインターネットは怖いという論調を好んでいるが、よっぽどリアルな世界の方が怖くなっていると思うのは私だけだろうか。

ソーシャル・キャピタルで有名なパットナム教授は、「知っている人に対する厚い信頼」と「知らない人に対する薄い信頼」を区別し「薄い信頼」の方がより協調行動を促進することに繋がると主張している。

多くの人との距離が遠く、付き合いが希薄だなぁと思い、それが嫌だと思っていたのだが、最近はその考え方が変わってきた。腹六分の付き合いの話もそうだが、やはりある程度の距離は必要だ。距離が近くなればなるほど、その人の嫌な部分が見えてきて、そこと対峙すると哲学的になってくる(笑)。精神的に乗り越えざるを得なくなり、疲れる。関係が悪くなることもある。その人に対して、何かを与えようという気持ちが無くなっていく。

先日、江原さんが腹六分というのは、その人のいい面だけ見ることだと言っていた。それは言い得て妙である。「薄い信頼」の方がより協調行動を促進することに繋がるというのは、その人のいい部分や自分と一致する部分しか見る必要が無いからではないだろうか。それ以外が見えたら、距離を置けばいいのだ。そういう距離感は重要である。

こうすることは、逃げのように見えるが、相手の立場を大事にできるのではないだろうか。平和を作る基なんじゃないだろうか。