疲れたが偉い

まずは「部下の出社時間を気にする上司」の根絶から

私たちは長年、長時間働いて「身を犠牲にして会社に奉仕している」という姿勢をアピールすることが「社会人の心得」であると思い込み、習慣としてすっかり身に染み込ませてしまいました。そして、来る日も来る日も「ああ、疲れたー」と言い続けてきたのです。こうした既成概念を捨て去さらなければならない。その大切さを教えているのがヘドロの例えなのです。

確かに、疲れたが偉いという感覚が支配している。奉仕することが悪いことだとは思わないけど、それをあたかも自分が犠牲者のように振舞って、いつも疲れた疲れたと言っているというのは、建設的ではないですね。そういう人に限って、同じことを他人にも要求する。変な世界だ。

その犠牲者意識というのは、日本人は好きだと思う。それを自慢のようにアピールする人は本当に多い。最近、そういうことを言う人とは近づかないようにしている。その感覚が移るのだ。話を聞くと数日感覚が鈍る。

まずは、そういう感情を表に出さないことからやってみるほうがいいのではないだろうか。人と人との間では、言葉がほとんどその人の人格やその場の雰囲気を表してしまう。被害者意識からは、自分にとっても回りにとっても何もいい影響は生まれない。