ブル7の中のシンバル

一つ結論を出しました。

ブル7という文脈という意味でシンバル(トライアングルも)を考えると違和感がありました。だってなぜあそこでシンバル?全体との関連性はまったく無いわけで、正直安易ではないかと言いたくなってしまいます。

クラシック音楽というのは形式の美であるという点を考えても、あそこのシンバルは異質であると言わざるを得ない。完成された形式の上で、なぜあの音が必要になるのか。合理では説明できないと思います。

となると、やはりブル7という文脈でシンバルを考えるのを止めざるを得なくなります。シンバルとトライアングルは説明できない「何か」であり、突然振って湧いたものと言っても大げさではない、ブル7の全体性の中の個ではなく、その一瞬に起こったこととして考える必要があるのではないか、と考えました。

宇宙的とも言われるブルックナーですから、シンバルも突然降って来た隕石のように、そこに必然は少なく、輝かしく散る。そんなシンバルがいいかなぁと思っています。

加えて、そこに必然が生まれる可能性としては、本番の演奏者のテンション、演奏の出来、お客さんの雰囲気などの状態で、音は確実に変わるだろうと思っています。ブルックナーのシンバルを捕らえながらも、その場も感じ取って音を出してみようかと思っています。