「褒める」ということ

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

改めてこのエントリーのコメントを見ていると、「褒める」ということについて書いている方が多いことに気づきました。特にネガティブな意見は、「褒める」ついて書いているのがほとんどじゃないでしょうか。私が書いたいくつかのBlogでも同様でした。

確かに褒められることって少ないですよね。逆に褒めることも少ないわけですけど。周りを見ていると、どこか「努力と根性が最も重要」と思っている傾向が多く、褒めるというのは調子に乗る要素だと考えている人が多いみたいです。私も少なからずそういう風に思うことがあるのは認めます。できるだけ止めたいとは思っていますけどね。

他にも色々なキーワードがありながらも、褒めるということに固執するというのは、逆に日本人は褒められることを欲しているのかもしれません。思い返してみると、いくら頑張っても会社で褒められることはありませんし、多くの人は、会社を出たらなお、褒められることなんて無いんじゃないでしょうか。家族に虐げられているお父さんとか(笑)。あ、それは褒めるじゃなくて感謝か(苦笑)。

思い返してみると、先生に褒められた覚えは小学校3年生以外無いな〜(小学校3年生の先生はすごくいい先生だったんです。褒めることや考えさせるなどやってくれていました)。親も同じようなもんです。とは言っても、ボコボコ叩かれるわけでも無し、すごく中途半端だったような…。

昔は、叩いて育てたという話がありますけど、叩くというのはそれだけ面倒を見るということだと思うんですよね。徹底的に向き合うから育つ。でも、今は本当に叩くと体罰だって訴えられるし、物理的に叩いてなくたってパワハラだの言われて、そういうことが出来ない。じゃあ教育は何だと言うことになるんだけども、なんか中途半端な状態になっているような気がします。

となると、褒めるというのは現代日本の新しい教育法なんじゃないでしょうか。だって叩けないんですもん(笑)。じゃあ何やるって褒めるしかない。そう思えば今までの褒めるということについてのネガティブ感も緩むんじゃないでしょうか。実際、褒めて効果も上がりますしね。

愛の反対語は無関心。もしかすると「叩く」も「褒める」も同義語なのかもしれません。