旅をする木

会社の社長がBlogを書いてまして、そこに「旅をする木」を読んだという記事を書いていました。私も1ヶ月前に読んだ本なので、色々思い出して感慨に浸っておりました。この本の解説の中で、

旅をする木』で星野が書いたのは、結局のところ、ゆく先々で一つの風景の中に立って、あるいは誰かに会って、いかによい時間、満ち足りた時間を過ごしたかという報告である。 実際のはなし、この本にはそれ以外のことは書いてない

欲には限りがありません。手に入れたら次が欲しくなる。そんな中、何が幸せかという課題は本当に難しい問題です。アラスカでなくても、今のままの自分でも、普通の生活の中で幸せが見つけられるような気がしてきます。

アラスカの生活を淡々と書いているだけなのに、読んでいるとなぜか暖かい気分になり、本気でアラスカに行きたくなります。星野さんが言うように、行ったところで一週間と持たないのはわかっているんですが。

自然はなぜ厳しいかというと、私達にはどうにも出来ないことがたくさんあるからだと思います。都市は人間が意識化した結果、つまり全て人間が作ったもので固めています。だからある意味安全です。ですが、その自然の中であえて生活し、星野さんは亡くなられた。悲しいことですが、それが自然なんだと身をもって私達に知らせてくれているような気がします。そして、本当に私達が今のままの生活をし続けていいのか考えさせられます。

般若心経では、全てが「空」であると表現しています。意識には自制が無い。人間の死だって、心臓が止まったら死だというは人間が決めていることです。旅をする木は、人間の理屈から行くとすでに死んでいるのかもしれませんが、その先で拾われ使われた。これは本当に死んでいるのかと考えると、私もいつか旅する木のような、死んでからも拾われるようなものを作れればなぁとも思いました。