音楽三昧

金曜日の夜に、みなとみらいの万葉の湯へ。お風呂を堪能して、ゲーセンで遊んで、休憩室で就寝。ほとんど寝られず、風呂入ってから練習場所で個人練習。先生のレッスンを見学してから初めての個人練習。一つ気が付きました。私は出したい音を出そうとしていなかったと。

プロのすごさは、自分の出したい音があり、その音と実際出している音との距離を、自力で縮められることのように感じていました。自分はどうなんだと考えてみると、まず出したい音が無かったと言っても大げさではないと思います。それを改めて考えるようにしてみました。

そして、その音を出そうとしてみること。それは、理屈ではないですね。直感を大切に。やっぱり理屈でしらみつぶしでは無理です。チェックポイントが100個の演奏をこなすことなんて出来ません。後で理屈で考えるのは直感を忘れないようにするためじゃないかと思いました。私はまず理屈を考えてました。形をこうすればあとはそれに任せればそれなりの音が出るだろうと。それじゃ単純化しすぎ。そんな合理主義ではいい音なんて出ません。

もしかすると、この発見で自分の音が少し変わるかもしれません。その応えはここ1ヶ月くらいで出るでしょう。少し練習が楽しみになりました。


その足で京浜東北線で爆睡して上野へ。石橋知佳さんのリサイタルへ行ってまいりました。上野公園て初めて行ったんですけど、独自の雰囲気ですね。歴史を感じさせます。

演奏もさることながら、奏楽堂の雰囲気も良く、とてもいい演奏会でした。恥ずかしながら私は始めて打楽器のソロやアンサンブルだったので、新しい発見がたくさんありました。

一番大きく感じたのは、打楽器は出す音全てがいわゆる楽音になりえるということです。バチとバチが触れる音、足音など…。むしろ、その辺を総合して感じなければ打楽器だけの音楽は面白くないとも感じました。演劇みたいだな、と思って石橋さんに聞いてみると、彼女の師匠は演劇界でも有名だそうです。なるほどですね。

また、詩の朗読を交えた委嘱作品が、音楽の原点であった「声」と「打楽器」を使った曲だったということで、自分の体や生活に近い、リアルな表現がとても面白かった。詩の内容も生活観がある内容だったというのもあるかもしれない。茂木先生が優れた芸術作品には色々なことが隠蔽されていると言っていました。今回の新曲は、隠蔽がある中でもその体に近い「楽器」を使っているという意味で、隠蔽と親近感のギャップがまた面白いと感じました。

そんなことを考えると、一番気になったのは、鍵盤のソロでマレットを変える時間や譜めくりの時間てどんな時間なんでしょう。フレーズが完全に切断される感じもありますので、作曲者の意図なんでしょうけど、そこにどんな音楽的な意味が込められてるんでしょうねぇ。

まぁ、多分音楽やってる人にはこの辺は常識なんでしょうなぁ。私は本当に初めてだったので新鮮に感じてしまいました。まだまだ何も知らないんだなぁと。これからは打楽器のアンサンブルも聴いていこうと思います。